山に登るということ
山に登る。自分の足で一歩一歩。てっぺんをめざす。荷物は生きるために最小限のものだけ。暖かい服とレインスーツ、寝袋、テント、マット、コッヘル、ガスストーブとガス、食料、水、ヘッドランプ。主なものはそんなところだ。これをザックひとつに詰め込んで、背負って登る。言ってみれば、自分の家と家財道具を背負って歩くのだ。これだけのものさえあれば生きてはいけるのだから、生きていくために真に必要なものなんて本当にシンプル、わずかなものだけだ。そう考えると、いかにいろいろな「もの」や「こと」にまみれて生きているかを実感する。
途中、景色を眺めたり、休んだりしながら、歩みを進める。しかし、荷物は重く、ストラップがかかる肩と腰骨が痛み始める。息があがり、足を上げるのもきつくなる。でも、運ぶ一歩、そしてもう一歩、確実にてっぺんに近づいている。てっぺんは逃げたりしない。いつも同じ場所、そこにある。だから、歩けば歩いただけ、間違いなくてっぺんに近づいている。目の前の岩に手を伸ばし、唸り声をあげながら急な岩場をよじ登る。鎖を握り、思わず息をのみ込むほど切れ落ちた岩壁をトラバースする。その一歩は、たかだか一歩分、ほんの数十センチにすぎないが、前に、そして高みに向かっているのだ。
日常の生活の中では自分の目標に向かって努力を重ねたとしても、いろいろな事情で目標が遠ざかっってしまったり、歩みを進める足元をすくわれたり、ときには断崖から突き落とされたり、努力がすべて報われるとは限らないのが現実だ。でも、登山は違う。歩みを止めない限り、間違いなくてっぺんに向かって進んでいる。今の苦しみが必ず報われる時が来る、そう考えられることが、僕にとっての登山の最大の魅力だ。その一方で、自分があきらめたらそこですべては終わる。誰の邪魔もないからこそ、誰のせいにもできないし、言い訳もできない。だから苦しくても前に進む。そうやってたどり着いたてっぺんから見る景色は、歩き続けてたどり着いた者にしか見ることができない最高のご褒美だ。だから僕は、また山に登る。
(トップの写真は北アルプス 奥大日岳方向から望む朝焼けの剱岳)
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