さぁ、前へ。そして光を放て
夕陽が沈み、街の明かりが灯り始める。
西の空を染めていた夕焼けが落ち着きを取り戻すと、
藍色の空に羽子板の羽のような形が浮かび上がった。
紫金山・アトラス彗星だ。
8万年をかけて太陽系の最果て、
オールトの雲からはるばるやって来たという。
途方もない年月と途方もない距離。
その道中はどんなものだったのか。
宇宙の歴史から考えれば、ほんとにちっぽけ、
ほんの数十年しか生きることのない僕らには、
想像することすら難しいけれど、
そのたたずまいは、まさに孤高の旅人だ。
その姿を見ていると、
今僕たちが存在しているこの場所とは違う、
遠く遠く、はるか遠く、
想像を超えた世界があることを感じる。
ぶつかって、吹っ飛ばされて、
大きくなったり、小さくなったり、
汚れて、溶けて、少しきれいになって、凍り付いて。
そんなことを繰り返してきたのだろうか。
その下では、いつもと変わらず、
人々があくせくと日常の中を動き回っている。
どこに向かっているのか、行く先もわからないまま、
目の前の現実にあらがい、流されながら。
ぶつかって、吹っ飛ばされて、
大きくなったり、小さくなったり、
汚れて、溶けて、少しきれいになって、凍り付いて。
そんなことを繰り返している。
この彗星は太陽に近付いて、輝きをさらに放った。
中には溶けて消え失せてしまうものもあるというのに、
とんでもない高温にさらされ、
熱を帯び、光を増し、長く美しい尾を伸ばした。
彗星の旅はまだ終わらない。
僕らの旅もまだ終わっちゃいない。
闇の中を、光の中を、冷たい中を、熱い中を、
見えない道は続いている。旅はまだ道半ばだ。
相変わらず行く先はわからないけれど、
悲しみと、やるせなさと、悔しさのその先で、
熱を、光を、美しさを増して、まぶしいほどの輝きを放とう。
自分が放つその光の先には、きっと何かが見えるはずだ。
つまずいて、転んで、大の字になるほど打ちのめされても、
なりふり構わず、立ち上がって、歯を食いしばって、
歩みを止めず、一歩ずつ前へ進もう。
光を放つべきその場所、そのときを待ちながら。
きらめく街明かりの中に、少しずつ光を失いながら
沈んでいく彗星を見つめ、そんなことを考えていた。
いつかはやって来るそのとき、その瞬間のために、
きっと今があるのだから。さぁ、前へ。
(撮影地:北海道深川市)
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