浅草寺のおみくじ「凶」ふたたび
8月に東京に行く機会があったので、3月に訪れた浅草界隈をまたぶらついてみる。歴史的な重厚感と、少し猥雑な感じというか人間的な雰囲気が満載で、このあたりの雰囲気がとっても好きだ。
3月に訪れたときのエピソードは『「凶」的な毎日と浅草寺のおみくじ』に書いていて、浅草寺で引いたおみくじで人生初の「凶」が出てしまった。そのときは当時の自分の生活をなんともピッタリと言い当てていて「むむむ」となってしまったのだけれど、「凶」の効力がいつまでなのかという興味もあって、再びおみくじを引いてみる。
おみくじを引くのは、前回と同じ場所。場所を変えてみるという手ももちろんあったのだけれど、ちょっとした意地もあって、同じ場所で挑んでみる。前回はなんとなく引いてみようかな…という感じでもあったり、いつもくじなどを引いたりするときはかき混ぜたりしないという習慣もあって、軽く箱を振っただけだったので、今回は結構な感じで挑戦的にカシャカシャカシャカシャと振ってみる。
「また出るかもな」
「所詮、おみくじだ」
「また出ても、生活が劇的に変わるわけでもないし」
「これで凶以外が出たら、少しは明るい兆しが見えるかも」
なーんの信心もないのに、なんだかそわそわした気分で引いてみる。
そうして出た数字は「58」。目の前の棚の「五十八」の引き出しを開けて紙を見てみると…。
な、な、な、なんと再び「凶」じゃありませんかー!!!
【第五十八 凶】
みちをゆかんとすれども うみかわのへだてがありてゆかれぬなり
けはしき山にむかひてくるまをおすがごときなり
すすむこともしりぞくこともならず、なんぎのていなり
じやまをする人ありて、万事とゝのわぬなり
ぐわんもう叶ひがたし
病人おぼつかなし
うせものいでがたし
まち人きたらず
やづくり、ひきこし見合すべし
よめとり、むことり、人をかゝへる、たびだちわろし
またまた「むむむむ」状態に…。
「やっぱりねぇ…」
「まだダメなの???」
「どうして???」
「俺、なんにも悪いことしてないのに…」
「まぁ、こんなもんかな…」
信心もないくせに、占い気分で引いていることへの観音様からの怒りの罰なのかもしれません…。
あの日以降、現状より良くなることもなく、悪くなることもなく、低空飛行というか、どん底飛行を続けていて、いつか低空から、どん底からちょっとだけ高度を上げられる日が来ることを信じながら努力をしてみるものの、それも何だか空回りしているようで、特に劇的な変化が訪れるわけでもなく、代わり映えのない日々を送る毎日。
という現実なのだから、「凶」の呪縛は解かれてはいないんだろうなとは思いながらも、よくドラマや成功談にありがちな「こんなにもどん底の時に、仕事、そしてある人との運命的な出会いがありました!」的なことが起きないものかと内心、一縷の望みを託して引いたのに…。
ちなみに、浅草寺観音籤の心得にはこう書かれています。
「凶が出た人も畏(おそれ)ることなく、辛抱強さをもって誠実に過ごすことで、吉に転じます。」
辛抱強く、誠実に過ごしているつもりですけど、まだまだ足りませんかー?
自分でなんとかなること、自分ではどうにもならないこと、両方あるけれど、自分でなんとかなる範疇のことはそれなりに頑張ってはいるのだから、もうそろそろこんな日々から解放してほしいな、
なーんてことを考えている不謹慎なヤツには、観音様はまだまだ試練を与え続けるのですかー?
恨み節のひとつも言いたくなるような現状ではあるけれど、ある意味、こんなことで運試ししようとしている自分への戒めなのだなと言い聞かせながら、夜の浅草寺を後にしたのでした。状況的に「凶」が「吉」に転じていくのは、いつのことになるのかなぁ…。
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