彗星を見にいく
彗星を見てみたいと思ったのは2013年、アイソン彗星の観測が期待されたときだ。それまでは彗星というものを今ひとつ理解しておらず、流れ星との違いを説明しなさいと言われても「?」となっている程度だったが、アイソン彗星はかなり明るくなり、大彗星になる可能性が高いとの予想がクローズアップされていて、天文雑誌を買って彗星の仕組み、観測や撮影の方法などを勉強し、NASAのホームページなども見たりして来るべき日に備えていた。
ところが、太陽に一番近づく近日点を境に、太陽観測衛星SOHOの画像から姿を消してしまった。太陽に最接近した際に崩壊、消滅してしまったようだった。近日点通過後にはさらに明るさを増し、大彗星になるといわれていただけに、突然姿を消してしまったときにはひどく落胆した。もちろん、肉眼で見ることも、カメラで撮影することもなく、彗星のお楽しみは悲しくもそこで終了してしまった。
それから10年余り、見たいという欲望も薄れてしまっていたせいなのかもしれないが、それ以降、観測条件のいい彗星の話を耳にすることはほぼなかった。しかし今年(2024年)、日の出前、日没後のほんの短い時間ながら、紫金山・アトラス彗星の観測のチャンスがあるという。「これはっ!」ということで10月13日、生まれて初めて彗星の観測・撮影に出かけた。
日没後、見えるようになるころにはすでに高度が低いという予測から、街明かりもなく、西の空の低い位置まで見渡せる場所といえばやっぱり海ということで、北海道石狩市浜益区に向かう。浜辺に三脚を立て、カメラをセッティングする。晴天だけあって、夕焼けがきれいだ。
日が沈み、残照が落ち着き始めたタイミングでレリーズを手に取り、シャッターを切り始めた。そうして空が一段と暗くなったころ、一眼レフのモニターに長く尾を引く彗星が写し出された。フレームの真ん中より少し左上、尾の一部は雲に隠れてはいるけれど、雲の下に頭をくっきりと出し、忽然と姿を現した。突然現れたすごい人のことを「彗星のごとく現れた」と表現することがあるが、まさにそのとおりで、突然ものすごいものがモニターに出現したのだ! 誰かが撮影した写真や映像では何度も見たことはあったが、自分のカメラに写った彗星はやっぱり格別。しかも、予想以上に尾が長い。そして何といってもかっこいい。思わず「ウォーッ」と叫んでしまった。
とはいえ、肉眼ではうっすらとしか確認できない。カメラに写った場所を確認して初めて、「あぁ、ここか」とわかる程度だ。空にはうっすらともやがかかっているのかもしれない。でも、ずーっと長年見たかった彗星が今、目の前に浮かんでいる。そう考えるだけで、なんだかもう感動とわくわくが止まらない‼ 水平線に沈むまでの数十分間、シャッターを切り続けた。
紫金山・アトラス彗星は約8万年前にも地球に近づいたという。8万年前…。この地球上では旧人類ネアンデルタール人が生きていた時代とされている。たかだか数十年しか生きることのない私たちにしてみれば、途方もない年月を経て再び地球にやって来たのだ。そんなことを考えると、感慨もひとしおだ。しかも、太陽系の果てにある「オールトの雲」から来たのだという。オールトの雲は彗星の原型であるチリやガスの氷の集まりで、太陽系を球状に取り囲んでいると考えられていて、200年以上の公転周期を持つ「彗星のふるさと」ともいわれている。このチリやガスの氷が衝突合体しながら成長して彗星の原型となり、何らかの原因で軌道を変えて太陽系の内側に向かうこととなるという。
そうやって故郷を離れ、宇宙の闇の中を進んでいく姿にはどうしても、長い長い未知の道に足を踏み出した孤独な旅人の姿を重ねてしまう。そうして旅に出た者の中には、アイソン彗星のように突如として儚く消えてなくなってしまうものもある。彗星の本体は核と呼ばれ、汚れた雪玉に例えられる。主な成分は氷で、そのほかガスやチリなどでできている。太陽に近づくとその熱で氷が蒸発し、ガスとチリも一緒に放出される。それが尾のように見える。だから、過度に蒸発が進んでしまえば、消えてなくなってしまうこともある。途方もなく長い旅の末に激しい太陽の熱にさらされ、それまでよりも輝きを増していくのか、はたまたそこで消え失せてしまうのか、そんな物語性もあるからなのか、長く尾を伸ばしながら暗闇で光を放つ姿には勇気づけられるし、神々しさすら感じてしまう。
そうして放出されたチリは宇宙空間に残され、そのチリが漂うところを地球が通ったときには、大気との摩擦により流れ星、流星群となる。太陽の熱にさらされ、身を削りながらも、奇跡の天体ショーを仕込んでくれている、僕たちの未来に希望や楽しみを残してくれている、などとなんとも妄想めいたことを考えてしまう。彗星に意思はないのだし、宇宙の営みがなにかの意図に基づいて行われているとは思っていない。そんなことは思ってはいないのだけれど、なんだかどうも人間くさいというか、意思を持つ存在として思いを重ねてしまうのは僕だけなのだろうか…。
カメラのレリーズを握って、途方もない8万年の旅を経て日本海に沈んでいく彗星を目の前にしながら、そんなことを考えていた。肉眼ではかすかに見えているだけなのだけれど、思いめぐらすだけで、なんともやっぱり浪漫な光景だよなぁ。
(撮影地:北海道石狩市浜益区)
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