JR留萌本線一部廃線 番外編 ~桜山レジャーランド~
そういえば、廃止される路線からは外れてしまうが、石狩沼田駅から深川方面に行くと、その昔「桜山レジャーランド」という遊園地があった。所在地は深川市、現在は桜山公園という名前になっている。40年以上も前のことになるが、留萌本線周辺には「遊園地」という名のつく施設はここぐらいしかなかったので、この桜山レジャーランドに遊びに行くのが本当に楽しみだった。
住んでいた留萌からの移動手段はいつも鉄道。何駅だったかは記憶にはないが、駅を降りて国道233号を渡り、遊園地へと続く坂道を上っていくと着いちゃう感じだったという印象だったけれど、このブログを書くにあたり、あらためて調べてみるとそんな便利な駅はなく、廃止になった駅もないようだった。最寄りの駅は「北一已(きたいちやん)」だったようで、現地に行ってみると、国道から上っていく坂道にたどり着くまでに結構な距離があることが分かった。当時の「早く遊園地に行きたい」とはやる気持ちが、記憶を「駅直結の坂道」に変化させてしまったのかもしれない。子どものころの記憶すら、あてにならなくなってきたのがさびしい限りだ。国道からの入り口すぐのところに道北バス、沿岸バスのバス停「桜山入口」があるので、もしかしたらバスだったのかもしれないなと思ったりもするが、今となっては残念なことに検証のしようもない。
ちなみに、蛇足になってしまいますが、上の写真のホームの駅名看板にあるとおり、「北一已」のひらがな表記は「きたいちやん」なのですが、「きたいっちゃん」が俗称というか、地元の方のネイティブ発音となっています。
桜山レジャーランドには、回転ブランコや観覧車、丸く設けられたプールのようなところを円状にぐるぐる回るボート、新幹線ひかり号のミニチュア版列車やモノレールなどのほか、ジャンボジェットのミニチュア版のようなものもあったように記憶している。もちろん、子どもたちに大人気のゴーカートもあった。自分で運転できるゴーカートに乗るのが本当に楽しくて、長い行列に並んでいる間、胸がわくわくしたのを今でも覚えている。
「確か写真があったよな」と思い、アルバムをめくるとやっぱりあった。最初の2枚が昭和46年、あとの4枚が昭和50年と母の字で書き込みがあり、「とても楽しかったったよ」と僕が言ったような感じでコメントも添えられていた。(中央付近に写っている子どもが僕で、僕以外ではっきり写っている方の顔にはボカシを入れています)
ジェットコースターのような絶叫マシンなんてものはなく、今あらためて見てみると、その場をただひたすらぐるぐる回る「三半規管トレーニングマシーン」のようなものや、バッテリーカーや新幹線のミニチュアのようにゆったりと動く乗り物が多かったけれど、子どもたちは歓声を上げ、このうえない笑顔になっていたのだから、豊かで平和な時間だったとしみじみしてしまう。
10年ほど前の春、時間があったのでふらりと桜山公園に行ったことがあった。桜は昔と変わりなくきれいに咲いていて、花見客でそこそこにぎわっていた。パークゴルフ場がメインの公園になっていて、SLの展示もあった。園内を散策すると、回転ブランコなのか観覧車なのかは判然としないが、乗り物がったと思われる場所に打たれたコンクリートやゴーカートコースのアスファルト、新幹線のひかりを模した小さな列車が走っていた線路跡やトンネルの跡なども残っていて、家族との楽しい思い出、なつかしさとともに、数十年の時の流れを実感した出来事だった。
そして今回、このブログを書くにあたり、2023年3月に再訪した。当然のことながら、まだ雪の中だったが、施設の入り口の階段や2台のSLの姿も確認できた。幼いころの僕にとって、まさに夢のような遊園地だった「桜山レジャーランド」。先日、同世代の滝川に住んでいる知人に聞いたら「子どものころ、よく遊びに行ったよ」という言葉も返ってきた。この記事を読んで「あぁ、懐かしいな」なんて思ってくれる方がいたら、うれしい限りだ。
「昭和」って、いろいろなことが雑然としていた時代だった印象だけれど、素朴で単純ないい時代だったんだなぁとつくづく感じてしまう今日このごろなのでした。
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