「凶」的な毎日と浅草寺のおみくじ
3月の初め、東京の浅草寺に初めて行った。新型コロナウイルス感染症対策にさまざまな緩和策が講じられていることもあって、雷門の前はたくさんの外国人でごった返すほど。こんなに早く外国人が戻ってきていることに驚きつつ、伝法院通りや仲見世通りをぶらぶらと歩く。
こういう歴史と風情が感じられる街並みは、歴史の浅い北海道ではほぼ見られないので、何百年も続く昔ながらの本州の祭りなどもそうだけれど、無条件にとてもいいなと感じてしまう。
境内に着くとおみくじがあった。「振りくじ」と呼ばれる方式で、番号の書かれた棒が入ったおみくじ箱を振り、出てきた棒に書かれた番号の棚からおみくじの紙を取り出すというテレビなどでよく見かけるやつだが、北海道ではあまり馴染みがなく、僕には未体験のおみくじ方式だった。
初めてのおみくじ方式だったということもあるし、ここ1年全くいいことがない、というかむしろ悪いことばかりが起こっていて、もうこってりと煮詰まったような生活をしていたこともあり、なんとなく自分の身の行く末を占うような気持ちで引いてみることにした。
カシャカシャと箱を振り出てきた数字は「98」。そして、目の前の棚の「九十八」の引き出しを開けて紙を見てみると、な、な、な、なんと「凶」!!! 最近起こったよくない出来事の数々が、瞬時に走馬灯のように頭の中を駆け巡り、「むむむむ」と唸ってしまいました。そして、妙に納得。
毎年、神社に詣でるほどの信心もないので、諸手を挙げて書かれた内容を全面的に信じているわけではありませんが、まずは生まれて初めて「凶」が出たことにまずビックリ。そして、読み進めていくと、その内容が何ともえげつないというか、人生のどん底そのものといった感じなので、結構「ガクーン」と凹んでしまいます。
「からんだ糸の乱れを戻そうとすることが困難であるように、心の苦しみをなくそうとするのは困難でしょう。」
「独り静かに悩みや悲しみの多くを抱き、物事の善悪さえ見つけにくいことでしょう。」
「魚が網にからまれて身動きが出来ぬように、もがき苦しむでしょう。」
「自分も周囲の人も悲しみ、悩み事が多く絶えがたいものでしょう。けれど信心すれば、逃れられることでしょう。」
願望:叶いにくいでしょう。
病気:おぼつかないでしょう。
失物:出にくいでしょう。
待ち人:現れないでしょう。
新築・引越:悪いでしょう。
旅行:悪いでしょう。
結婚・付き合い:悪いでしょう。
なんていうことでしょう! すべての困難から逃れ難く、物事の判断もできなくなり、もがき苦しむ。願いはかなわず、病気になり、失ったものは返らず、新築・引越、旅行、結婚・付き合いにいたっては何がどうなのかもわからないけど、とにかく悪いでしょうって。もう、人生に絶望しちゃうようなことしか書かれていません。これを読んだら、家でじっとしてればいいのか、いろいろ頑張ってみたらいいのか、気分転換をしたらいいのか、何をどうしたらいいのか全くわかりません。
でも、最後にはこんな言葉が書かれています。「大吉が出たからといって油断をしたり、また高慢な態度をとれば、凶に転じることもあります。謙虚で柔和な気持で人々に接するようにしましょう。また凶が出た人も畏(おそれ)ることなく、辛抱さをもって誠実に過ごすことで、吉に転じます。凶の出た人は観音様のご加護を願い、境内の指定場所にこの観音籤を結んで、ご縁つなぎをしてください。」
凶が出ようが、大吉が出ようが、あくまでも生きるうえでの教訓的なもので、謙虚に、柔和に、誠実に過ごすことが大事なのは理解できるのだが、内容がかなりショッキング。実際に「凶」的な毎日を送っている身としては「このおみくじの効力はいつまで? いつまでこんな状態が続くの?」と半ギレ気味に真剣に考えちゃったりもしましたが、ちょっとググってみると、浅草寺のおみくじの「凶」確率は高いのだそうな。
浅草寺のおみくじは「観音百籤」という歴史あるもので、細かく決まっている吉と凶の配分を昔ながらに守っているのだそう。ほかのお寺では引いた人の気分を考慮して、凶の配分を少なめにしているようだが、浅草寺では決められた配分を守っているため、凶が出る確率が高いのだとか。知ってよかったのか、知らない方がよかったのか。状況的によくないときにはいろいろ考えて、何かにすがりつきたくなったり、些細なことに敏感になったりするものだけれど、目の前のことに一喜一憂せず、毎日をまじめにちゃんと生きることが大切なんだということをあらためて思った次第でした。
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