2023-04-20

沖縄さんぽ

 前回のブログ「赤瓦とシーサーと青い空 」に、沖縄の風景が「僕にとっては普通の住宅街だったり、狭い路地だったり、昔からある市場だったり、小さな商店だったり、海で釣りをする光景だったり、日常の景色のほうが絵になるというか、『おおっ』と思う場面がたくさんある。」と書いたので、そのときに写したシーサー以外の写真をここに載せてみようと思う。

 上はそのままずばり「てんぷら屋」さんの写真。沖縄では揚げ物をよく食べる。サーターアンダギー(サーター=砂糖、アンダ=油、アギー=揚げる で沖縄では砂糖天ぷらとも呼ぶ)は今では全国的によく知られているが、サツマイモやイカ、白身魚、エビもまさに「定番天ぷら」だ。沖縄の魚は刺身かマース煮(塩で煮る)のほか、唐揚げか天ぷらで食する。グルクンという魚の唐揚げもまたド定番で、沖縄の魚を「焼き魚」としてはあまり食べない。あと、揚げ物といえば魚のすり身を油で揚げる「かまぼこ」もよく食べる。さつま揚げのようなイメージだが、棒状のものがあったり、四角いものがあったりとひと味違う。しかもうまい。この天ぷら屋さんは住宅街の一角にあって、このときは閉まっていたが、開いていたらさぞかしたくさんの天ぷらが並んでいたんだろう。想像するだけで楽しくなる。

 沖縄ではあちらこちらにお墓がある。北海道では、お墓は住宅街から離れた見晴らしのいい場所などにあったりするものだが、沖縄では家の隣にお墓があることも珍しくない。シーミー(清明祭)のときに親戚じゅうが集まって宴会をしている光景がよくテレビで放送されたりしているが、家族単位ではなく先祖代々、まさに「一族」の墓なのだ。散歩していたら、うっそうとした森の一角にとっても大きなお墓があった。

 海に行くと、よく釣りをしている光景を見かける。子どもであったり、お兄さんであったり、おじさんであったり。沖縄の青い空と空気感がそう感じさせるのかもしれないが、「釣ってやるぞ」といったやる気満々とは無縁な感じで、「とりあえず釣りでもしようか」的なのんびりした雰囲気で釣り糸を垂れている(ように見える)。そんなシーンを見かけると「なんかいいなぁ」と、ついシャッターを切ってしまう。この子たちは何を狙っているのかなぁ。

 こちらは2人で釣りに来たのか、それとも立って遠くを見つめているおじさん風の人が「釣れてるかい?」と様子を見に来たのか。

 沖縄にはこんな狭い路地もある。車はもちろん通れない。でも、沖縄では車は不可欠なので、この路地に面した家に住んでいる人は、どこか近くの駐車場に車をとめているのだろう。ちなみに、このように狭い路地のことを、沖縄の方言では「すーじぐゎー」という。

 「すーじ」は路地(筋道なんて言いますよね)、「ぐゎー」は本来「小さい」の意味だが、「かまぼこぐゎー」とか「まやー(猫)ぐゎー」などいろいろなものの語尾につけて使われる。「ふらーぐゎー」となると、「ふらー」は「バカ」の意味なので、これだけだとちょっときつめな言葉になってしまうが、「ふらーぐゎー」と優しめに言うと若干やわらかい表現となる。逆に「やなふらーぐゎー」となると、「やな」は「嫌」の意味なので「やなふらー」だけでも蔑みの気持ちが込められているが、「ぐゎー」をつけて「やなふらーぐゎー」とすることで、より一層の侮蔑感を込めた表現となる。

 「ぐゎー」の意味のバリエーションとしては、あんまり意味はないが、なんとなくの感覚で名詞の語尾につける場合がまずひとつ、あとは言い方次第で、優しく話せば愛情を込めた表現となるか、きつめに言えば侮蔑を込めた表現となる。「ぐゎー」はさまざまな意味を持ちうる便利な言葉なのだ。なかなか奥が深い。

 ちなみに、北海道の海沿いの街、特におじさんたちの間では、結構「バカ」という言葉が会話に登場する。「バカ、お前、俺なんかもっとすごいことやったぞ」とか「バカ、お前みたいなやつはどっか行っちまえ」とか「バカ、お前はほんとにめんこい(かわいい)やつだな」とか。順番に説明すると、ほとんど意味がないがなんとなく使っている場合、侮蔑を込めている場合、優しさの表現の場合となるが、こんなイメージといえばいいのだろうか。北海道と沖縄に人以外には、なかなか伝わらないかもしれないが…。

 沖縄の方言ってほんとに独特で聞いても理解できない時も多々あるんだけれど、南国っぽいというか、どこかのんびりしているというか、おおらかというか、そこにある精神性みたいなものがよく感じられる言葉や表現がいっぱいあって、僕は聞くたびにいつも「いいなぁ」と思ってしまう。

(撮影地:沖縄県糸満市)

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